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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)1713号 判決

判  決

東京都新宿区新宿三丁目五三番地

原告

木下重雄

右訴訟代理人弁護士

岡田実五郎

佐々木

同都同区東大久保一丁目四八九番地

被告

広瀬清信

右訴訟代理人弁護士

今野勝久

右訴訟副代理人弁護士

黒田清隆

右当事者間の昭和三四年(ワ)第一、七一三号土地建物所有権移転登記等請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告は原告から金七五〇万円の支払を受けるのと引換に、原告に対し別紙第一、第二物件目録記載の土地及び建物につき昭和三三年一月二七日付売買に基く所有権移転登記手続を為し、且、右土地および建物を明渡せ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

原告は、昭和三三年一月二七日、被告から主文記載の土地および建物を代金八〇〇万円で買受ける契約をし、同日金五〇万円を代金支払の際その内入に充当する約定で手附として交付した。よつて、原告は、原告が被告に対し代金残額金七五〇万円を支払うのと引換に、本件物件の所有権移転登記手続をなし、且、これを明渡すことを求める。と述べ、

被告の抗弁に対する答弁として、

(一)  被告の抗弁事実(一)のうち、(イ)は認めるが(ロ)は否認する。

(二)  被告の抗弁事実(二)は全部否認する。

(三)  被告の抗弁事実(三)のうち、被告主張の日に、被告が金一〇〇万円を被告主張のとおり供託した事実および、被告主張の日に被告主張の解除の意思表示が到達した事実は認めるが、その余の事実は否認する。と述べ、

再抗弁として、

(一)  本件売買契約の履行期の約定中、「病状の回復」とは、被告妻女の病状が危険状態(絶対安静)を脱したときを指すものであり、同女は、昭和三三年五、六月頃には右危険状態を脱していたものであるから、その頃既に履行期は到来していたものである。仮にそうでないとしても、原告が被告に履行を督促した結果、昭和三四年一月二五日、被告は原告に対して、同月二十七日までに履行期日を指定することを約した。ところが被告は右期日を約定の日までに指定しないので、原告は、被告に対し、昭和三四年一月三一日到達の書面で履行の日時場所を同年二月九日東京法務局新宿出張所と指定し、右期日に、右場所で被告を待つたが、被告は来会しなかつたものであり、右同日履行期は到来していたものである。

(二)  仮に、被告の要素の錯誤の抗弁事実が認められるとしても、被告妻女が本件物件より移転するにつき、同女の病状が全快しなければならないものか、又は、ある程度の回復でたりるかは、被告自ら医師の診断を得て判断し得るものであるから、かかる処置を講ぜずに、前記のとおりの履行期を約定したことは、被告に重大な過失があるものである。

(三)  本件契約の際授受した手附は、原告が右契約に違反した場合は手附金返還の権利を失い、被告が右契約に違反した場合は手附金の倍額を原告に支払うこととする違約損害金の予定たる性質と、証約手附たる性質とを併せ有するものであつて、解約手附たるものではない。従つて、被告は右手附金倍返しにより本件契約を解除することはできない。

(四)  仮に、被告が右解除権を有するとしても、被告が解除の意思表示を為す以前に原告は履行に着手していたものである。即ち、前記のとおり被告妻女の病状が回復したことを知つた原告は数回に亘り被告に履行期日の指定を督促したが、被告はこれに応ぜず、かえつて本件物件を他に売却しようとしていたので、原告は昭和三四年一月二三日東京地方裁判所に本件物件の処分禁止等仮処分を申請し、同日右決定を得、更に同月二五日、被告に対し代金に相当する金員を預金してある第一銀行新宿支店の預金通帳を示して履行を督促した結果、前記のとおり、被告は同月二七日までに履行期日を指定することを約したものである。然るに被告は右指定を為さないので、原告は同月二八日前記仮処分を執行し前記のとおり履行期日を指定し、右期日には、原告はその指定した場所へ、第一銀行新宿支店長振出の小切手(額面金七五〇万円)を持参して、被告の来会を待つていたのである。と述べ、

被告の再々抗弁に対する答弁として、

被告の再々抗弁事実を否認する。と述べ、

証拠(省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、答弁として、

原告の請求原因事実は全部認める。と述べ、

抗弁として、

(一)(イ)  本件売買契約の履行期は、被告の妻ヨネ子の病状が回復したとき、又は最悪の事態が発生したときから、本件物件明渡に要する最短日数を加えた日時とする旨定めたものである。(ロ)右履行期の約定は、被告妻女の死亡のときを主として標準にするものであつて、病状回復の場合はその反射的体裁として定めたものにすぎない。

(二)  右履行期の約定が、原告主張のとおり被告妻女の病状が危険状態(絶対安静)を脱したときを含むとすれば、本件売買契約は被告において要素の錯誤があるから無効である。即ち、本件売買契約は、被告が、被告妻女において医師の手を離れ転地静養ができる程度に回復するか、又は同女が死亡した場合は、都会を離れて静かに暮したいとの発意で締結したものであり、右被告の意思は本件契約の際原告に表示し、原告もこれを了知していたものである。然るに絶対安静を脱した程度で履行期とするなら、被告は他の類似の場所へ移転するか、被告妻女を病院へ入院させるより外に途はなく、かかる契約は被告に錯誤がなかつたならば、締結しなかつたものである。

(三)  被告は昭和三四年二月一二日、原告事務所において手附金倍額金一〇〇万円を提供したが、原告はこれを受領しないので、東京法務局新宿出張所に供託し、右手附倍返しによる本件売買契約解除の意思表示を為し、右意思表示は、翌一三日、原告に到達した。よつて、本件売買契約はすでに解除されたものである。と述べ、

原告の再抗弁に対する答弁として、

(一)  原告の再抗弁事実(一)のうち、原告より履行の催告があつた事実、原告主張の日に原告主張のとおり履行期日および場所の指定があつた事実ならびに被告妻女が原告主張の日に死亡した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(二)  原告の再抗弁事実(二)は全部否認する。

(三)  原告の再抗弁事実(三)は全部否認する。

(四)  原告の再抗弁事実(四)のうち、原告より度々履行の催告があつた事実、原告主張のとおり、原告が仮処分決定を得、これを執行した事実および原告主張の日に、原告より履行の日時、場所の指定があつた事実は認めるが、その余の事実は否認する。と述べ、再々抗弁として、

仮に、原告主張の日に、被告が原告に対して原告主張のとおり履行期日を指定することを約したとしても、右約定は、原告および訴外堀宗一が、被告に対して、パチンコだ、ドスだ、片輪にする等と申し向けて強迫し、被告を畏怖せしめ、よつて右約定を為さしめたものであるから、被告は本訴(昭和三六年五月一日の口頭弁論期日)においてこれを取消す。と述べ、

証拠(省略)

理由

原告が、昭和三三年一月二七日、被告から本件物件を代金八〇〇万円で買受ける契約をし、同日、金五〇万円を代金支払の際の内入に充当する約定で、手附として交付した事実は当事者間に争いがない。

本件売買契約の履行期について、被告の妻ヨネ子の病状が回復したとき又は最悪の事態が発生したときから本件物件の明渡に要する最短日数を加えた日時とする旨約定された事実も当事者間に争いがないが、(証拠)によれば、被告の妻は本件契約当時ほとんど回復できないと考えられるのみならず、余命幾許もあるまいと思われるような病状であつて、右履行期の約定は、主として本件物件の明渡に関連して被告の妻の死亡のときを基準にするものであつたが、これを明記することは憚られたので、表現を緩和し、文章の体裁を整えるため、同女の病状回復の場合を附加したにすぎないことを認定することができ、(中略)右認定を動かすに足りる証拠はない。次いで、(証拠)によれば、昭和三四年一月二五日、被告は原告に対して同月二七日までに本件物件の明渡期日を指定することを約定した事実が認められ、(中略)右認定を左右するにたりる証拠はない。もつとも、被告は、右約定は強迫によるものであるから取消す旨主張するが、(中略)右事実を認めるにたりる証拠はない。その後、被告が右期日を指定しないため、原告が被告に対し昭和三四年一月三一日到達の書面で履行の日時および場所を、同年二月九日、東京法務局新宿出張所と指定した事実は当事者間に争いがないが、前記約定では、被告が明渡期日を指定すべきものであるから、右事実によつても、それによつて直ちに履行期が到来したものとは考えられない。従つて、昭和三五年二月二二日、被告が死亡した事実は当事者間に争いがないから、右日時以降本件物件明渡を要する最短日数を経過したとき履行期は到来したものと認められる。

次に、被告の手附金倍返しによる解除の抗弁事実について判断するに、原告は、本件契約の際授受された手附が、解約手附たるものではなく、証約手附であると共に損害賠償額の予定たる性質を有するものであると主張するが、解約手附たる性質と、証約手附ないしは損害賠償額の予定たる手附としての性質とは両立し得ないものではなく、手附は、特別の意思表示のない限り、解約手附たる性質を有するものと認められるのであり、原告の全立証その他本件全証拠によつても、本件契約における手附が解約手附ではないとの事実を認めるにたりない。

(証拠)によれば、被告は、昭和三四年二月一二日、手附金倍額金一〇〇万円を持参して原告事務所を訪ねた事実を認定することができ、他に右認定を動かすにたりる証拠はなく、右同日、被告が前記金一〇〇万円を東京法務局新宿出張所に供託し、右手附倍返しによる本件売買契約解除の意思表示をなし、右意思表示は翌一三日原告に到達した事実は、当事者間に争いがない。

然し、昭和三三年六月頃から、原告は数回に亘つて被告に対し履行期日の指定を督促していた事実および原告は昭和三四年一月二三日東京地方裁判所に本件物件の処分禁止等仮処分を申請し、同日右決定を得た事実は当事者間に争いがなく、(証拠)によれば、同年一月二五日、原告は被告に対して本件物件の売買代金残額に相当する金員を預金してある第一銀行新宿支店の預金通帳を示して履行を督促した事実を認定することができ、右認定を動かすにたりる証拠はなく、その結果、前示認定のとおり、被告において、同月二七日までに履行期日を指定する旨の約定が為されたのであるが、その後更に、同月二八日、原告が前記仮処分を執行した事実は当事者間に争いがなく、右同日原告が自ら履行の期日および場所を指定したことは前示のとおりであつて、(証拠)によれば、原告は右指定の日に、指定の場所へ本件売買代金相当額の第一銀行新宿支店長振出の小切手を持参、被告の来会を待つた事実を認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。前示認定のとおり、その当時未だ履行期は到来していなかつたのであるが、前示のとおり本件売買契約における履行期の約定は、本件物件の明渡に関連して被告の妻が病臥していることを考慮して定められたものであるから、少くとも移転登記手続の履行には被告の妻の病臥が如何であろうと何ら支障にならないと考えられるところ、右各認定事実によれば、被告の前記解除の意思表示以前に、原告は所有権移転登記を得ると引換えに残代金を支払う心算でその履行に着手したものと認めなければならない。従つて、被告の解除の抗弁は理由がない。

そうすると、原告が被告に対し代金残額金七五〇万円を支払うのと引換に本件物件の所有権移転登記手続及び明渡を求める本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき訴訟法第八九条を適用し、尚仮執行の宣言については事案の性質上これを附することを相当と認めてその申立を却下し、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第三部

裁判官 福 島 逸 雄

第一、第二物件目録(省略)

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